LECTER_vol17
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5100100年続く食への愛について語ろう年続く食への愛について語ろうす。お好み焼は戦後の広島復興には欠かせない、命を繋ぐ大切な食べ物だったんですね。 ちなみに、1975年広島東洋カープがセ・リーグ初優勝を飾っ ちなみに今回お話を聞いたオタフクソース株式会社春名課長の部署は「お好み焼課」で業務内容は「お好み焼を好きになってもらうための活動をする部署」……そんな仕事がこの世にあるの?オタフクのお好み焼愛、おそるべし… 「お好み焼」は、「煎餅(センビン)」という小麦粉を水で溶いて平に焼いただけのシンプルなものが唐の時代に日本に伝わり、その後時代と共にどんどん焼や一銭洋食といった「おやつ」的な存在で形を変えていきます。戦後、配給のわずかな小麦粉を多めの水で溶き、野菜と一緒に焼いて食べられていたものはあくまで空腹をしのぐためのものでしたが、昭和30年頃から徐々に屋台や住宅の一部を改装した店舗などが増え、この頃から麺や豚肉を加えるようになり現在に至っていまた時、市内のお好み焼店がテレビに映ったことで注目を集め、その後ガイドブックなどにも掲載されるようになり全国的に知られるようになったそうです。 そもそも、今年100年目に突入したこの会社がただ「ソースを販売する会社」ではないのが興味深い。「広島お好み焼」の美味しさ、素晴らしさをより多くの人々に知ってもらう為の活動を国内のみならず世界に向けて惜しみなく続けていて、今回はその象徴とも言える「Wood Egg お好み焼館」にお邪魔しました。  こちらは「地域に根ざしたお好み焼普及活動」のため2008年に開館したタワーで、お好み焼の歴史や文化を発信する施設。その愛は海を越え、外国の方にもお好み焼の美味しさを知っていただくため、取得するのが信じられないほど厳しいハラール認証までマレーシアでは取得しているし、中国・アメリカ・台湾でのお好み焼イベントや研修の開催など、そのお好み焼愛は世界にも広がっているのでした。BRAND HISTORY

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